夏目録(ナツメログ)

兼業ホラー小説屋。不動産屋の法務部員。アウトドア寄りの筆記具ヲタ

【筆記具のこと その二】ノートについて 総論的ななにか

いわゆるノートというものがいつからあるのか、と考えてみた。まずは一番身近な歴史人である親に

 

「子供の頃使ってたノートってどんなの?」

 

と聞いてみた。

私の母は筆記具オタクではない。もちろん当時の文具のことなど、そうは覚えていないだろう。だが、根気よくヒアリングを続けていると

 

・表紙には子供のイラスト

・いくつも種類のあるノート

 

という情報を得た。この辺りから検索しまくった結果、多分うちの母が使っていたのはキョクトウのノートなのではないかと思うところまではたどり着いた。

だが、ノートの記憶は中学生くらいまでで、高校生になるとノートは使わずにレポート用紙を使っていたらしい。これはこれで印象的だ。

レポート用紙は冊子としては連結性が弱く、ファイルに綴じるとしても穴をあける手間がある。散逸のしやすさはルーズリーフの比ではないような気がした。つまるところ、学生には向かないような気がしていたのだ。

なぜレポート用紙なのか。

その答えは明瞭だった。

 

「大学生っぽくて、流行っていたから」

 

そう、女子高生なのだ。流行っていたら使うということも十分にありえる。

もちろんそれ以外にも理由はあった。

 

「安かったから。余りが出ないから」

 

合理的でもあったのだ。

そして

 

「忘れた子に分けてあげられる」

 

優しい世界だ。

 

では、いわゆるノートはわが国ではどのような発生と変遷を辿ったのだろうか。

 

聖徳太子の頃には和紙はあった。書物もあった。だが。日本における最初のメモ帳はおそらく笏だろう。

平安貴族の絵とかで手に持ってる棒のようなアレだ。

笏には牙笏や木笏があり、身分やTPOで使い分けていたとされている。

貴族の仕事や生活にはしきたりや式典が多い。式次第を書いた紙を笏の後ろに貼ってカンニング。これはまさにメモ帳だと思った。まあ、最初のカンニングペーパーかもしれないけど。

 

木製の笏の場合には直接書いてしまうこともあったらしい。わかる。書くものと書けるものがあればメモる。そんなもんだ。

 

飛鳥の頃から江戸時代までは和紙が主流だ。綴じて冊子にすればノートになる。

これが以外にもバリエーション豊かだったようだ。

メジャーなのは巻物状のものだろう。必要なだけ使って、小刀でシュっと切る。映画でも見かける光景だ。

大国帳やB5ほどの書付帳も主流のようだ(B版というところに日本を感じる)、一方で、手のひらにすっぽり収まるサイズのものも散見される。子供や女性手には、小さな帳面がしっくりきたのかもしれないし、着物のたもとに入れておく本(豆本、雛本、袖珍)があったからかもしれない。

美濃和紙の八つ切りというのが、一つの基準だったようだ。

 

江戸後期には西洋から洋紙が入るようになり、筆記具も毛筆から硬筆への流れが出てくると、いわゆるノートの登場となる。

ちなみに私は携帯できる毛筆「矢立」ってやつを集めてたりもするのだが、割と近年まで使われていたので、洋紙に墨での書付なんてことも日常だっただろう。

 

今日、最も手に入りやすいノートが登場するのは大正時代ごろからだ。多分。

この頃はまだ、文字の練習には石板と蝋石(黒板的な使い方か)を使っていたという記録もあるし、女学生が和綴じの帳面を利用していたので、洋紙のノートは高級だったのではなかろうか。

大学ノートと呼ばれるものが出てきて(東大の正門前にあった文具店が発祥とも言われる)、今日でも購入できるツバメノートやフィラーノートが出てくると、日本の歴史も戦後へと突入する。

 

そして最も有名なノートのうちの一つ、キャンパスノートの登場は1975年。意外と新しい。発売元のコクヨは、元々は簿記帳面用紙を作っており、もっと辿ると大国帳の表紙を作っていたらしいから、日本の長いノート史を支えてきた会社であると言って良いだろう。

 

保存に最適な中性紙。先日復刻版が発売されていたので思わず購入してしまった。

中抜けを許さない美しいマーブルの側面染め。適度に滑らかなサーフェイス。

ツバメノートのフールス紙も良いが、やはりコクヨの紙も素晴らしい。

 

ツバメといえば、あの罫線が素晴らしい。

シュっと潔く引かれていながら、どことなく小さな揺らぎを感じる人間味あふれ、職人の粋を感じる美しいノート。

それもそのはず、あの罫線は今でも職人さんの手で生み出されているのだ。

私はツバメノートを買うことをやめられない。